あれから十三年

いまから十三年前
忘れもしない出来事だった わたしは毎年、年中行事のように渡航していたインドの旅をすべてコーディネートしてくださるインド人経営の旅行会社の方と、池袋のサンシャインプリンスにてその夜、会食をしていた。解散し帰宅途中、あの惨劇をしることになる。ニューヨークの友人たちに連絡は、とれるもののみんなパニック状態。新日本のツアーが23日に終わり、めでたく藤波さんとタイトルを奪取に成功し、翌二十四日にニューヨークへ向かった。事件から13日が経過しているもののマンハッタン中が猛烈に科学薬品臭い。イーストビレッジの日本人レストラン関係者が集まり、なにかできることをしようと、タイガー服部さんも合流し、必死に寿司、お握り、焼きそば、焼きうどん、炒飯など二百人前のlunchboxをこしらえ、通行許可の検問をすべてクリアし現場からわずか五十メートルほど手前にある軍隊、消防、警察の休息所のようなところに届けに入った。何百人もの兵士、消防、警察たち。その様子はまるで、タワーリングインフェルノの映画のダラスタワーの ロビー階でぐったりと休息をとるスティーブマックィーン扮するマイケルオハラハン隊長チームとも思えた光景であった。

25日には、ヤンキースタジアムで試合前に追悼セレモニーがあり最後には、マイケルボートンがリーンオンミーをアカペラで熱唱。五万人のヤンキースファンは全員涙していた。

あれを境に なにかにつけゴッドブレス・アメリカと叫ばれる新たなきっかけともなり間違いなく更なる、愛国心が国民全員に芽生えさせられた瞬間である。 わたしは平和主義者からしたら戦争は極めて反対。 外交問題も近隣を威嚇する事がすべてとは思わず、国同士仲良くすることが先決と考える。

武力行使よりも、先祖を大切にし、親、兄弟を大切にし、家族を愛し、地域を愛し、国を愛するべきであるとの考えからすると、いかに道徳教育からの人間形成に力を入れなくてはならないと思う。

そのさらに人間の細胞の土台を形成させるのに、私が提唱し続け、政治の世界に身を投じた最大の理由である、食の改善なのであります。

食育

私のライフワークです