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飛行機への夢とロマン

私の母校の文京区立青柳小学校の100周年記念のお祭りが一昨日行われた。近隣の各町会5町会、PTA、少年バスケチーム、少年野球チーム、青柳幼稚園教員チーム、青柳小学校教員チーム、計10ブースが各々の出店を出店。
わが、大塚坂下北町会は、かき氷10かん、フランクフルト300本、綿菓子5キロ、大クワガタ2匹を含むくじ引き、4時から7時半まで名一杯販売しすべて完売した。
販売額は100円。来場者は数千人? 盆踊りもでて、お祭りは大いに盛り上がった。

私が卒業して早や、31年。学校を訪れるたびに、昨日とは言わないまでも、思い出はフラッシュバックしてくる。
鉄道マニアで、カメラを持って東京駅に入場券を買って足をよく運んだあの日。特急電車はL特急と呼ばれ、あの独特な濃い肌色と濃いえんじ色の車体も何とも言えぬ色気が漂う。特に新幹線は、東北も上越新幹線も開業前。のぞみも開通する前の時代であり、駅も品川もなく、ひかり号は新横は当たり前のように通過する時代。すなわち、東京駅を出ると一気にひかり号は名古屋までノンストップ。小学生の私には、考えもつかないくらい遠くに、時速200キロを超える超特急で連れて行かれる新幹線には、猛烈なほど夢とロマンがあった。

それが大人になり、私の鉄道へのロマンを航空機に変わっていく。

大人になっての成田空港は、まさに子供のころの東京駅の新幹線ホームそのもの。
私自身がまさか、人生で150万マイルも飛ぶとは考えもつかない。
150万マイルというと、東京とフロリダを100往復となる。

私の飛行機デビューは、中学校2年生の夏休み。ちょうどJAL123便の事故の1週間後に父親の生まれ故郷である四国の宇和島へ行く際に、日本においてデビューしたてのボーイング767にのって、またオープンしたての羽田松山線が初搭乗。

あれから本当にさまざまな空の旅をさせてもらった。
記憶に残る10フライトを挙げてみよう。

1、完璧な青空で9時間一瞬さえもピクリとも揺れなかった、UAフランクフルトワシントンDC路線。
2、ハリケーンが残る大西洋上に、積乱雲に入って猛烈に揺れ、青空に出てスムーズになり、この繰り返しを数時間繰り返し、意識が遠くなりそうな、これもUAフランクフルトからワシントンDC路線。
3、茨城県上空まで青空で快適であったのだが、大雪警報発令中の関東地方を覆う真っ黒な雲に入った途端、とんでもなく
揺れ、成田ランディングを2回ためし、3回目のトライで海が見えたと思ったら羽田に緊急着陸したUAシカゴ成田線。
4、上空からの砂漠と遠くに見えるピラミッドがなんともエキゾチックな景色に見え、007私を愛したスパイのサントラが完璧に景色とマッチングしたLHフランクフルトーカイロ線。
5、北海道上空に大きく発達した低気圧を回避するため、通常の五大湖を通りアンカレッジ方向に航行ルートを変更し、シカゴからまっすぐ北上し北極の真上を通過し、初めて北極を肉眼で目視し、北極、ハバロフスク、日本海、新潟、名古屋、九十九里、から成田ランディングへのUAシカゴ成田線。
6、並びの席に坂本竜一さんが搭乗されていた初の海外遠征フライト成田JFKのJAL6便。
7、カーテン向こうには、the beachのプロモーションでレオナルド・ディカプリオ一行と一緒であったUAロス成田便。
8、亀井先生が当時、金融大臣であった際、同行した私が通された羽田の特別室。さらには我々一行だけ特別車両で登場機材の真横に横付けされ、機内に入った途端プッシュバックした、ANA羽田札幌便。
9、冬の大西洋路線でちょうどタイタニックが沈没したエリアの真上を航行中、タイタニックのサントラと完璧なマッチングをしたこれもUAフランクフルトーワシントンDC便。
10、9,11直後の9月25日に搭乗したUA成田JFK800便。ファーストクラス0、ビジネス10名、エコノミー30名くらいの驚きの搭乗者数。逆に777を私がチャーターした気分で超快適搭乗。

私は、大昔はノースウエストをよく利用していたのだが、96年あたりからUA勤務の知人のおかげでユナイテッドフリークとなった。何しろ、ユナイテッドは全日空ともシンガポールともルフトハンザとも提携をしている分、使いやすいし、今はなくなってしまったが、伝統のJFK800便が飛んでいた。毎月渡米していた私は、新日本時代の過酷なツアーを乗り切り、充実の思いで、最終戦の翌日の便で住まいのあったフロリダ州タンパへ戻るのだが、ほぼ毎回タンパによる前に立ち寄ったのが、とてつもなく元気をもらえるニューヨークであった。

ニューヨークでは、おしゃれしていくならマンハッタン一望のレインボールームがよいし、ブルックリンブリッジを超えて、橋のたもとにあるリバーカフェもいい。スタッテン島とバッテリーパークを結ぶフェリーからの景色もよい。

ヤンキースは、個人的には昔のスタジアムのほうがよかった。かすれた爺様の伝説のボブ・シェパードの声が歴史と伝統のヤンキースゲームを盛り上げた。

飛行機に戻るが、私のベストエアクラフトは何と言ってもボーイング747-400

一番前に座ると、なんと前方が窓から見える。

夏休みも間もなく終わろうとしているが、皆様も旅に夢とロマンを追い求めてはいかがでしょうか。


22 August, 2014 16:41

本日も朝のラジオ体操からスタート
帰宅し 朝飯三人分、昼飯の弁当三人分をつくる
今日は、朝から大盛カレー 米をいかに食べるかが、日中のパワーの秘訣

午前中 公務の間 おばあちゃんのお墓参りに
おばあちゃん子の私は、大好きだった祖母を二千五年に亡くした

私の父方は四国の宇和島
母方がここの町の大塚

私のおばあちゃんの兄が昭和四十年代から五十年代にかけて二十年間 区議会議員だった細田彦一さん

おばあちゃんのお墓と同じ敷地内にあるので、彦一さんのお墓ももちろん お参り

文京区を御守りくださいと

さて、午後から私が要望した御陵の万年塀の改修工事にあたる最初の会議

理由はなににせよ要望とはかけはなり、少しがっかり
二時半から、森議員とピッチング練習

九月二日 文京区議会野球チームはなんと都大会に進出

森さんがエース 私はキャッチャー

炎天下の教育の森グランドにて百球投げ込み

九月二日に期待

明日は、地元青柳小学校の百周年行事に終日参加

ではまた


21 August, 2014 19:30

この二日間、公務のかたわら、日曜と来週水曜の試合に向け がっちり、みっちりコンディション調整
フロリダを思い出すほどとは、言わないがかなりの強い日差しの中で 屋外トレーニング

猛烈な追い込みトレーニングをし大量の汗

練習後はいかなるサプリは必要なし

米、味噌汁、麦茶が最高のコンディションを形成していく

人間は粗食につきる


18 August, 2014 12:28

わずか三日間の江津市弾丸訪問の旅は、行きは飛行機であっという間だが、帰りは満席。仕方ないから浜田を朝イチ六時にバスで出発し、二時間かけて山を越え広島へ。わずか数席の空席を見つけだし広島から新幹線に飛び乗り東京へ四時間の旅。新幹線の旅も超満員の車両だと快適な旅とは、言えない。むかし、大阪府立や愛知県体などの大きな大試合を終え、一人優雅に帰京する際は、車内で乾いた喉に頂く冷えた飲み物が、充実しきった試合ならさらに美味しさは格別であった。 過去は過去とし 都内へ向かう私のいまの立場は違う。手帳とにらめっこをし、不備がないかの確認と、今週のスケジュールを綿密に組まねばならない。

しかし車内の居心地に何かが足りない。
新幹線の今月号の小冊子に目を通したら、元阪急ブレーブスの名選手 福本さんの特集があった。車窓に目をやり、ひかりが駅を通過する際には 人数を数えたり、またある一定間の線路上の電柱を数えたり、動体視力を鍛えるのにはもってこいだったらしい。試合が終わり、帰りはリラックスムードで食堂車でみんなで飲んで帰ったと記事があった。 プロスポーツ選手はみんなおんなじだなと思うのだが、たしかに食堂車やビュッフェの存在はありがたかった。

いまや、ブルートレインも乗降客が激減し、どんどんと廃止の一途をたどる。ブルートレインの食堂車は、さらにロマンがあった。
ブルートレインは、乗降客の激減する前から、食堂車を廃止してしまった。
その点、アメリカのアムトラックは現在も?日に三回オープンする食堂車もあり、二十四時間営業のバーラウンジ車両もある。
日本で唯一快適なのは、伊豆へいくスーパービュー踊り子のラウンジ位ではなかろうか。

鉄道マニアの私からJRに強く要望したいのが、食堂車とビュッフェの復活

食堂車のついたブルートレインの復活である。

1席でも多く人をのせても利益最優先の、現在のやり方だが、鉄道とは、ただの交通手段ではなく、旅をしたくなる夢とロマンのある列車を作ってもらいたい

私の小言でした


16 August, 2014 20:49

二万四千人の人口の島根県江津市に人口の倍以上の六万人の動員集客を誇る 江の川祭り見学
花火の美しさもさることながら、私は川に流す灯籠流しに心を打たれる

川に浮かび、ゆっくり日本海に流されて行く灯籠を見るていると、先祖への思いが蘇り いま、私がいかに生かされていることに対し 感謝の思いが起こる

まわりの方があって、いまの私がある

常に愛と感謝です